香川県高松市の小児科・アレルギー科・小児循環器内科 医療法人社団裕心会 あきた小児科クリニック

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青空がのぞく診察室から

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2015年10月31日

祖父のこと

僕は徳島県出身ですが、生まれは徳島の県南、牟岐町の喜来というところです。無人の辺川駅から歩いて30分ぐらいの山間に母の実家がありますが、周辺は田や畑ばかりで、隣の家までは数百メートルあります。その家で祖父母や両親、叔父や叔母など10人を超える大所帯で暮らしていたのですが、5歳になった頃に両親とともに徳島市内に引っ越しました。

子どもの頃は祖父母のいる母の実家が大好きで、長期休みには1週間単位でよく遊びに行ったものでした。44歳の若さで“おばあちゃん”になった祖母は、あれやこれやと僕の面倒をよく見てくれました。祖母の作ったお寿司やぼたもちなどは絶品で、祖母の手料理はとても楽しみでした。祖母との思い出は、このブログを開始した早々の19年9月にちょっと書いています。一方、明治37年1月1日生まれの祖父は口数の少ない人でしたが、僕が従兄弟たちと遊ぶのをニコニコと見ながら、いつも一生懸命に農業にいそしんでいました。子どもの頃の夏休みやお正月の記憶の中には、祖母や叔父、叔母、従兄弟たちと共に祖父の姿もありましたが、僕にとっては“物静かなお祖父ちゃん”でした。そんな僕も、中学に入ってから訪れる機会はすっかり減ってしまいました。

そして祖父は70歳の秋に、自転車で道路を横断中、突っ込んできた自動車にはねられて亡くなってしまいました。僕が高校3年の時でした。僕の記憶にはっきりと残る中では、最初に亡くなった親族でした。それに対して祖母は93歳まで長生きしてくれたので、僕が大学を卒業してそれなりの医師になったのを見届けてくれました。

最近、子どもたちと一緒に徳島の家に帰った時、ふとした機会に牟岐町から徳島に出てきた時の話が出ました。僕は父が一念発起して引っ越して来たと思っていたのですが、その背景には祖父の強い勧めと大きな尽力があったことを初めて聞かされました。娘夫婦だけでなく初孫のこともあれこれと考えてくれて、物心ともに多大な援助をしてくれていたとのことでした。僕の将来のことも、両親にはいろいろと語ってくれていたようです。母の実家によく行っていた頃の僕はまだ幼く、残念ながら祖父といろいろ語り合った記憶はありません。けれど、単に“物静かなお祖父ちゃん”というだけではなく、孫の知らないところで、気づかれない陰の部分では、大きな影響を与えてくれていたことを今頃になって知りました。結局、今こうして曲がりなりにもやって行けているのも、こうした人たちに支えられてのものだと感じています。
先日はその祖父の命日でした。
お祖父ちゃん、孫はこうして元気にやっていますよ。安心してください。

投稿者 staff : 20:53

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