香川県高松市の小児科・アレルギー科・小児循環器内科 医療法人社団裕心会 あきた小児科クリニック

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青空がのぞく診察室から

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2009年08月31日

秋田屋の旦那

しばらく前の午後休診の夕方、何気なくテレビを付けてみると定番の「水戸黄門」をやっていました。悪代官と結託して私腹を肥やす大店(おおだな)の「秋田屋の旦那」が出ていました。最後は懲らしめられるのですが、他の時代劇では「秋田屋の旦那」は切られ役でもありました。

5、6年前に家族で京都の太秦映画村へ遊びに行きました。そこには、「秋田屋」という看板を掲げた店がありました。子どもたちは「秋田って書いてある」と言って盛り上がり、記念写真を撮っていましたが、親としては「秋田屋の旦那は敵役が多いんだけどなあ」と素直には喜べませんでした。

あきた小児科クリニックの秋田屋のダンナは、最近ブログ更新で苦しんでいました。子育てカルタシリーズの『き』で行き詰まっていたからです。シリーズの間隔がずっとあいていたのが気になっていたので、これを書き終えるまでは・・・と思っている間に、これだけの日にちが経ってしまいました。

そんな秋田屋のダンナも29日が誕生日でした。キング・オブ・ポップやヨン様と同じ誕生日でもあります。なんか、同じようなことを書いたり言ったりしているような気もしますが・・・。いつの間にか、父親が心筋梗塞になった歳を越していました。いつの間にか、医師になった歳と医師として働いた年月が同じぐらいになってきました。現代の秋田屋のダンナは悪代官(?)に負けることなく、子どもたちのために新型インフルエンザの嵐に立ち向かっていこうと思います。

投稿者 staff : 19:24

2009年08月02日

「救急車、通ります!」

先日の朝クリニックに向かう途中、サイレンを鳴らした救急車が後方から近づいてきました。交差点の先頭で信号待ちしていたので、左側に寄りながら、自分も仕事でよく救急車に乗ったなあと思いながら、その後ろ姿を眺めていました。

初めて救急車に乗ったのは徳島大学の研修医時代でした。受け持ちの心臓病児が緊急に手術を必要とする状態になったのですが、非常に困難な手術でもあり、ご家族の要望で大阪の専門病院で手術を受けることになりました。飛行場までは救急車で搬送し、その後は僕も機内に同乗して大阪まで飛びました。救急車内から見ていて、なかなか避けてくれない一般車両にいらだちと怒りを覚えながら、必死に子どもを見守っていた若い自分がいました。

香川小児病院時代は、主に重症新生児の入院搬送で毎週のように救急車に乗っていました。呼吸状態が悪くて呼吸管理をしていることが多い上に、高松市内や徳島県池田、高知県境まで出掛けることもあり、善通寺市までの搬送時間が実際の時間以上に長く感じられたものでした。

東京での研修時代に心臓病児の搬送で救急車に乗った時、まず感じたのは「結構みんな避けてくれるなあ」ということでした。四国のドライバーよりもちゃんと避けてくれるような印象を持ちました。それでも中には知らん顔して真ん中を走っている人もいます。そんな時、「先生、手空いてる?」運転士さんがそう聞いて、僕にマイクを預けることもありました。「救急車通ります!道を空けてくださ〜い!」例の声出し役です。初めはなかなか声を出しづらかったものの、しばらくするとすぐにベテランの域でした。マイクを持つ時間があるような搬送はいいのですが、そんな余裕すらない超重症児の救急搬送は、今思い出しても緊迫する場面でした。「早く病院に着いてくれ」そう祈ることもありました。

外から見ていると、「ああ、救急車だ」「病人かケガ人を運んでいるんだ」という感じですが、それぞれ状況は違うものの、実際の車内では時間や病状との闘いが続けられています。そして、救急車が運んでいるのはその病人やケガ人だけでなく、その人の人生、その家族の人生も同時に運んでいます。病気やケガだけでなく、そんな人たちの人生も一緒に回復して欲しいと願うばかりです。

投稿者 staff : 16:05

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