香川県高松市の小児科・アレルギー科・小児循環器内科 医療法人社団裕心会 あきた小児科クリニック

医療法人社団裕心会 あきた小児科クリニック 小児科・アレルギー科・小児循環器内科

プライバシーポリシー

青空がのぞく診察室から

ホーム >> 青空がのぞく診察室から >> 2008年04月 アーカイブ

« 2008年03月 | メイン | 2008年05月 »

2008年04月28日

ヒロシです

僕の裕司という名前はよくユウジと読まれますが、親が決めた読み方はヒロシです。小学校時代、教科書をめくると必ずどこかに「ひろしくん」が出てきました。最近では、「○○キ」、「○○タ」、「○○ト」といった読みの名前が人気ですが、以前は「ヒロシ」も多かったのです。時代設定が一昔前のマンガも同様で、クレヨンしんちゃんのお父さんは野原ひろし、ちびまる子ちゃんのお父さんはさくらひろし、ど根性ガエルのピョン吉のシャツを着ているのもヒロシです。三枚目系が多いのは同じヒロシとしては気になりますが、反対に阿部、玉木、長野といった名字の下にこの名前を付ければ、イケメンになることもできます。

以前に講演会や研修会で講師をさせていただいた際、司会の方によく「アキヤマ・ユウジ先生です」と紹介されました。ヒロシをユウジと呼ばれることには慣れていますが、アキヤマと間違われ出したのは香川に来てからです。故郷の徳島には秋田という名字が結構あるのですが、香川に来ると秋田はずいぶん少なくなって秋山さんが多いようです。そのために、つい「秋山先生」と言われるのでしょう。そう呼ばれるのも高松日赤時代の話でしたが、先日はこんなことがありました。

木曜日の午後でクリニックは休診だったのですが、たまたまかかってきた電話に僕が出た時のことです。「もしもし、秋山小児科クリニックでしょうか?子どもが学校の心電図検診で引っかかったんで、精密検査の予約をお願いします」と、お母さんの明るい声が流れてきました。開業してから初めてアキヤマと呼ばれた瞬間でしたが、それも秋山先生ではなく、秋山小児科クリニックでした。久しぶりで笑えましたが、一応正式名称をお教えさせていただきました。

一時、講演会などで自己紹介する際には、「日赤のヨン様です」と言っていた時期がありました。ヨン様ファンには大ひんしゅくを買っていましたが、ただ誕生日が同じ8月29日だという単純な理由ですから、と言い訳していました。
ところで、5月に2回ほど講演させていただく機会があるのですが、今さら「日赤のヨン様」と言うわけにもいかず、「ヒロシです・・・」と暗い口調で切り出すわけにもいかず、講演内容よりも冒頭の挨拶に悩んでおります。

投稿者 staff : 13:37

2008年04月25日

たとえば君がいるだけで

今日、自分にとって大切な人たちがクリニックの見学に来てくれました。短時間ではありましたが、クリニックの風景だけでなく、雰囲気や時の流れなども記憶にとどめてくれたのではないかと思います。

新聞や情報誌を見ていると、お誕生日を迎えた子どもさんの写真がたくさん載っています。「元気に」「たくましく」「やさしく」「ありがとう」「笑顔」・・・お父さんやお母さんからのメッセージも、温かく大きなやさしさに包まれています。一昔前に流行った米米クラブの歌ではありませんが、「たとえば君がいるだけで」心が強くなったり、大切なものに気づかされたりするものだと思います。石井竜也が唄ったのは男女の間での“君”ですが、これは親子の間でも同様です。自分も、子どもたちが幼い頃には、「たとえば君がいるだけで」一挙一動に笑わされ、心動かされ、元気をいっぱいもらったものでした。

そのうち子どもたちが大きくなるにつれて、幼い頃とは反対に一挙一動が気になり、気に入らなくなり、文句を言いたくなる時期が来ました。子どもの反抗期は、同時に親の“子どもへの偏見期”でもあるように思います。親の一方的な意見の押しつけ、決めつけ・・・そういったものが親子の距離を一時的に遠ざけてしまうものです。

そんな時に、ふと昔の写真を眺めたり、たまたま幼い時の拙い文字を見つけたりすると、気持ちや考え方が「たとえば君がいるだけで」時代に戻ることができます。親の自分もちょっと考え直してみようかと、親としての言動を振り返る余裕が生まれたりします。お互いにほんの少しでも歩み寄ろうと努力をするだけで、もめ事が解決に向かったりするものです。

かくいう自分も、子どもとして親を大いに悩ませた時代が長く続いた訳で、自分が親になって初めてわかったこともたくさんあります。親になることはあまり難しくはありませんが、子どもにとって理想的な親や、親にとって望ましい子どもでいることは難しいと感じています。ただ、成長した後でも何かあった時、子どもが親のところに、または親が子どものところに、何気なく帰って来られるような関係でいられればいいのかなと思ったりもします。親子であっても夫婦であっても、何かがあった時には、記憶の中の引き出しから「たとえば君がいるだけで」時代の気持ちを思い出すこと、そのことが思いやりや心配りをする余裕を生んでくれるように思います。

投稿者 staff : 23:37

2008年04月24日

風に揺れるパペットたち

先日は久々の好天気でした。お昼の休憩時間に所用に出かけてクリニックに帰ってきてみると、駐車場の片隅に置かれた物干し竿に、パペットや人形たちが仲良く並んで揺れていました。診察室や処置室に置かれている彼らですが、天気が良かったのでお風呂(洗濯機)に入れられたようです。子どもたちが実際に触れて遊んだりするものは清潔が一番です。土曜日の夕方には、入浴後に処置室のベッドの上で甲羅干しをされている待合室のブロックたちがいます。スタッフの心配りが感じられる時間でもあります。

思えば去年の今頃は、スタッフ研修をしていた時期でした。それが今は、事務部門も看護部門も、それぞれ自分たちの考えや意見で、自主的に動いてくれるようになっています。院長が診療に専念すればいい環境を作ってくれているスタッフたちに、日頃は言えない感謝をこの場で伝えておきたいと思います。

子どもたちが触れたり、時には口に入れたりするおもちゃが清潔で安全であって欲しいのは当然のことです。家庭での日常生活や保育園や幼稚園での集団生活の場でも、気にされている人が多いかもわかりません。一方で、人には免疫力や適応力があります。「必要以上に神経質にならず」に「必要な注意や配慮を忘れない」というバランス感覚が大切ではないかと思っています。

免疫といえば、卵や乳製品などのアレルギーでも“耐性”ができてくる場合がけっこうあります。必要な時期には制限しながら、あるいはできる範囲の注意をしていきながら、さらには適度に飲み薬や塗り薬の力も借りて、耐性ができるまでうまくつき合っていって欲しいと思います。アレルギー疾患とつき合う場合には、「あせらない」「あわてない」「あきらめない」ことが重要だと思っています。でもこれは、子育てにも通じることですね。

投稿者 staff : 21:08

2008年04月20日

和田堀のおばあちゃんたち

新宿・余丁町時代の若き日、週に1回半日だけ、杉並区の和田堀にある診療所のお手伝いに行っていました。研修先の先輩が大学に戻ることになったので、その後任という形で引き受けたのですが・・・。「小児科だけじゃなくて内科の患者さんも来ると思うけど、人数は少ないから心配いらないよ」という先輩の言葉を素直に信じたのが苦労の始まりでした。

実際には小児科よりも内科の患者さん、しかもお年寄りの女性が多かったのです。かぜや胃腸炎、軽い高血圧など、当時の僕でも十分対処できる病気が中心だったので診察や治療は大丈夫だったのですが、戸惑ったのは世間話や愚痴への対処でした。「うちの嫁ときたら・・・」「旦那がねえ〜」「近所の誰それがさぁ・・・」その話の複雑さと多様さは、若き小児科医には難しい対応でした。“何を話してあげたらいいんだろう”、“どういうふうに応えてあげたらいいんだろう”としばらく悩んでいました。しかし、どうにも判らなかったので、開き直って、とにかく話を聴いてあげることに徹してみよう、そう決めました。

そうすると、診療所に毎週やってくるおばあちゃんたちが増えてきました。診察時間(そのほとんどが聴き役時間)も少しずつ長くなっていきました。そのうち僕にも、どうやらおばあちゃんたちは僕の診察が目的ではなくて、話をするために来てくれているということがわかってきました。若造のつたない対応より、「うんうん」とか「そうだねぇ」とか相づちを打ちながら耳を傾けてくれる時間が欲しかったようです。

コニュミケーションが大事とよく言われるけれど、口下手でもいいから聴き上手でさえあればいいんだということを、身をもって体験した数ヶ月でした。医者として、人に話をするよりも人に意見をするよりも、まずよく聴いてあげることから始めなさい、和田堀のおばあちゃんたちにそう教わったことが、今も自分の診療の中で生きていると思えるのです。

投稿者 staff : 16:55

2008年04月16日

何人もの「あきたせんせい」

あきた小児科クリニックには何人もの「あきたせんせい」がいます。

ある日、一人の子どもさんがお母さんと一緒にクリニックに来てくれました。看護師も一人介助について、一通りの診察が終わりました。診察結果をお話しして、お渡しする薬の説明を済ませて、お二人が診察室を出て行こうとした時、彼が言いました。「今日はあきたせんせい、おらんの?」
“おかしいな、いつもと同じ恰好で、同じ顔でここにいるんだけどな・・・”、お母さんもあわてて「秋田先生やったら目の前に座ってるやないの」そう言ってくれたけれど、彼は処置室の方まで覗きに行って、「あきたせんせい」を探していました。
どうやらお気に入りの看護師さんがいるらしく、彼の中ではその人が「あきたせんせい」だったのです。その日は彼女の週休で、たまたま不在だった訳です。“じゃあ、僕って誰?”というヤボな質問は止めました。

彼を始めとして、他にも自分なりの「あきたせんせい」を見つけている子どもたちが何人もいます。その「あきたせんせい」は実際に採血をしたり、嫌がる処置をしたりしているのだけれど、それでも彼らは「あきたせんせい」と慕ってくれているようです。先日も、最初に出てきた彼が、彼の「あきたせんせい」に採血をされて大泣きしていたけれど、あとでヨシヨシと抱っこされて、いつもの彼に戻ってニコニコと帰って行きました。

医師である自分が子どもたちやお母さん方に受け入れていただく以上に、こうしたエピソードはとてもうれしく、ありがたいものです。「病気の子どもたちやご両親を支えていきたい」というスタッフたちの姿勢が伝わってくれているように感じています。
クリニックが開院してから、夏、秋、冬、そして春と季節がほぼ一回りしました。このわずか10ヶ月の間でも、追加電気工事があったり、電子カルテがさっそくバージョンアップしたり、第二駐車場をお借りしたり、診察順番待ち予約システムを導入したり・・・その他にも、いろいろなことがありました。自分なりの「あきたせんせい」を描いてクリニックに来てくださっている子どもたちやご両親のためにも、スタッフ一同日々ステップアップをしていきたいと思っています。

ちなみに、先日ファミマで会った子どもさんが僕を見つけて「あ、ブロックの病院の先生だ!」と言ってくれました。ありがとうね。

投稿者 staff : 21:43

2008年04月13日

「3K」と「3ない」

小児科や産婦人科などに進む医学生が少ないことがよく報道されています。僕が学生の頃も、小児科については「3K」とか「3ない」とか言われていました。「3K」は“キツイ”、“汚い”、“給与が安い”といったような意味です。「3ない」も同様で、“休みがない”、“遊びがない”、“就職先がない”といった意味です。当直の回数も多く、勤務時間も長く、勤務形態は確かに厳しいものです。ただ、子どもたちのウンチやおしっこは汚いものではないし、勤務先によってはそれなりに休みや遊びにも配慮がありました。

最近は病院小児科の縮小や閉鎖に伴って、就職先は少なくなっているのかもわかりません。今後は、一定数以上の小児科医を集約化させたセンター的な病院小児科ができることが理想ですが、現実にはかなり難しいようです。
さて、自分のような開業小児科の特徴は何でしょうか?

ちょっと手前みそかもわかりませんが、“決まった一人の医師が診察する”、“兄弟や家族みんなの顔や性格もある程度わかる”、“来てもそんなに待たずに診察してもらえる”という、良い意味での「こじつけ3K」だと思います。毎回のように診察医が替わるという不安がないこと、ファミリー的な診察も期待できること、大病院のような長い待ち時間がないことなどが、開業小児科の特徴でしょう。

それでも、インフルエンザ流行期などは曜日や時間帯によっては待ち時間が多少長くなっており、ご迷惑をおかけしていました。そこで、明日4月14日から、携帯電話やインターネットを利用した診察順番待ちの予約登録システムを導入することになりました。これによって、繁忙期でもお待ちいただく時間をかなり短くすることができるのではないかと期待しています。ただし、当初は多少ご不便やご迷惑をおかけすることもあるかと思いますがご了承ください。“あまりお待たせしない“、”わざわざ朝早く出向くこともない“、”別の病気をもらってしまう危険性も少ない“という、この新しい「3ない」システムにご期待ください。

投稿者 staff : 23:27

2008年04月10日

新宿・余丁町の朝

今から20年ぐらい前のことです。まだまだ若かった研修時代、医者になって4年目の時に小児心臓病の専門医を志した僕は、教授の計らいで心臓病治療のトップランナーである東京女子医大へ留学する機会をいただきました。「大阪にもとても良い施設があるので、そちらにお願いしてもいいけど」とも言われたのですが、何と言っても徳島は大阪圏なので、親しみのある近くよりも遠くの“大都会”に行ってみたかったという不純な動機も少しはありました。

ところが、いざ留学してみると、想像していた以上にハードな毎日が待っていました。早朝から始まる講義、夜遅くまで続く診療と勉強、さらに深夜まで続く残務整理と余分な勉強・・・おまけに言葉の苦労もあって、1日を無事に過ごすためにはそれまでの何倍ものエネルギーが必要でした。深夜に下宿に帰ってホッとするのも束の間、すぐにまた次の朝がやってくるのでした。下宿は女子医大まで歩いて3分の新宿区余丁町にあったのですが、新しい環境に萎えていきそうな自分の気持ちを、この3分間という朝の時間がなんとか立て直してくれたものでした。

ここ数日、幼稚園や小学校、中学校などの入園式や入学式が続いています。クリニックに来てくださっている子どもたちやお母さん方からも、待ちわびていた様子がよく伝わってきます。でも、当然それは子どもたちにとって新しい環境です。いつもの朝の時間の後に、制服に着替えて、ランドセルやカバンを抱えて通園や通学をして、長い授業や行事があって、子どもなりの対人関係や社会生活があって・・・彼らにとって今は緊張の日々のはずです。僕たち大人にとってはとっくの昔に通り過ぎた過去ですが、彼らの緊張や不安をしっかり感じてあげましょう。その緊張を自然に表現できる子どももいれば、不安を隠して背伸びして頑張り過ぎている子どももいるはずです。帰宅したら、激励の前にまずは温かく迎えてあげましょう。

ここでもう一度、話を僕の過去に戻します。不思議なものですね。3年前、開業しようか高松日赤に残ろうかと大いに悩んだ時、学会で東京に出掛けた僕の足は、地下鉄大江戸線に乗って余丁町に向かっていました。懐かしい下宿付近を歩いていると、厳しかったはずの当時の思い出が、今度は新しい大きなエネルギーをくれました。あの時にあれだけ頑張れたんだから、と・・・。
その時、自分の気持ちと進路がはっきりと決まったのでした。

投稿者 staff : 22:53

2008年04月09日

巣立ちの季節

新年度、そして新学期が始まりました。僕のクリニックに来てくれていた中学生や高校生、大学生も、数名が高校入試や大学入試、入社試験を突破して県外へ旅立っていきました。子どもたちにとってはご両親から本格的に自立する機会ですが、長く関わってきた僕たちからの巣立ちの季節でもあります。

大切な薬を嫌がって飲まなかった保育園時代、からかわれることから逃げて通うのを怖がった1年生の頃、運動制限を守ろうとしなかった小学生時代、恋愛の悩みを相談してきた中学生時代、受験勉強や病気への不安を打ち明けてくれた高校生時代・・・それぞれ違う子どもさんの多くのエピソードが、すべて一つの人生のようにまとまって思い出されます。ホントの親子のように真剣に口げんかした子どももいました。だからでしょうか、彼らがここ1ヶ月ばかりクリニックに姿を見せなくなって、まるで自分の子どもが巣立ったかのようなさびしさを感じてしまいます。小さい頃からずっと関われて、大人になって親になっても付き合っていける、それが小児科というところです。小児科医が減っているとよく言われますが、こんな現場を知ったら、小児科を選んでくれる若い人がもっと増えるように思います。

自分も小さい頃から病気や事故と付き合うことが多かったので、何人もの医師にお世話になりました。小学生や中学生時代、落ち込んでいた頃に支えてくれた先生、僕の進路に影響を与えてくれた先生もいました。そして、高校時代に途方に暮れていた頃、大学を卒業したばかりの新米先生にほぼ毎週のようにお世話になっていました。ベテランの先生にはない若い真剣さで、自分の病気や高校生活から逃げようとする僕に向き合ってくれました。数年前、その先生が高松にいらっしゃることを偶然の機会に知りました。僕が患者だったのはもう30年以上も前のことになるので、すっかり忘れておられるとは思いますが、「あの頃に関わっていただいた先生のおかげで今の自分があります」そうお伝えする機会を、ぜひ近いうちに作りたいと思っています。

投稿者 staff : 21:58

ページトップへ

Copyright © 2009 Akita children's clinic. All rights reserved.